日本政策金融公庫との話は一旦切り上げた形で、地元の銀行にも融資の相談をすることになりました。
しかし、銀行とは初めの段階でのコミュニケーション不足で大きな時間ロスを生んでしまいます。
先ずは日本政策金融公庫とのやりとり等を話し、銀行への計画書では基本的な事業計画はそんなに大きくは変わらないが数字を見直し、資金計画では大きな援助があり自己資金の比率を増やすことができたという内容になっているはずだったのですが、銀行と一月近く、面談を何回やってもこの計画書では事業の青写真が見えてこないとつき返されてしまいます。いよいよ何をどう変えていいかわからなくなってしまい、商工会に相談をしました。当時の所長さんが計画書には特に問題はないと判断し間に入ってくださり、銀行の担当者がこの計画書は日本政策金融公庫が否決した案件と勘違いをしている、銀行としても保証協会を通さないと出せない融資なのに、日本政策金融公庫が否決した案件なんて通る訳がない、担当者としては面談はしているが通る訳ない案件に困っている状況だと気付いてくれたのでした。ここで銀行とは話をやめました。青写真という言葉が少しトラウマになっています笑
そしてもう一度、自己資金比率の上がった計画書で日本政策金融公庫に再度相談をすることになり、この再挑戦で融資を受けることができたのでした。
最初は信用もないし、窯元という業種が珍しい部類になるので器が出来るまでの経費や手間、作家ものの器の相場、販路開拓方法を丁寧に説明しなくてはならないのだと痛感しました。とても大切な事を学んだと思っています。